「飯川神社会館」

銘木「大欅」と共に、人を創り、心を繋ぎ、栄える町を目指し、歴史と伝統文化を漏れなく、積み重ねて来た、住民絆の「飯川神社会館」である。明治、大正は、徳田村の分教場として学習の館であり、また青少年育成の大切な集い憩う場、「飯川倶楽部(通称)」だったと伝え聞く。

昭和四十四年十一月、公共的助成金に頼らず、町民独自の汗と力の結晶で、神の御傍近くに約壱千万を投じ、二百余名も収容可能なホールを備えた、花形会館に建て替えされ現在に至るもの。席代の長もこの館を、他に誇れるおらが町の紋章とし、町民一心同体で貴重財産と護り続けている。神社会館という類なき名称だが、皆で喜怒哀楽を分かち合える素敵なコミュニティセンターであり、飯川の城でもあろう。

ともあれ、毎週、班別で管理清掃に余念なし、この館を生んだ先達者に深く感謝し、十周年毎の記念事業、全民総出演で継承中である。

(文・橋元道樹、写真・中山吉郎)

広報とくだ NO.359抜粋