在所のお寺さんタイトル

円寿寺 (下町)

  
 当寺は、創め天台宗であったが、一五七六年(天正四年)に藤原圓智住職が浄土真宗に改宗し、現在の二十一世住職に至っている。当時は、浄土真宗の教えが広まり、真宗に改宗した寺院も多かったようである。
建立場所は、現在の鹿島バイパス近くにある墓地付近であった。一八六八年(明治元年)に火災で本堂を焼失し、十七世住職の時に現在の位置に再建された。

 当寺が所蔵する「本尊前卓」は、一六三四年(寛永十一年)の仏具で、江戸時代初期のもので造形文化を知るための貴重な資料となっている。また、明治政府により「廃仏毀釈」の政策がとられ、寺院と神社が分離されたが、明治以前は、寺院と神社は神仏習合しており、神体を仏像としている例も多かった。その当時の仏像「舟形後光の仏像」が、当寺に所蔵されており、宗教の歴史的背景を知る上で貴重なものとされている。

 「喚鐘」は、「行事鐘」ともいい、お勤めが始まる合図として打つ鐘である。当寺のものは、一八〇一年(亨和元年)に製作されたものであり、金沢城「鶴の丸」の「時鐘」を鋳造した鋳物師、村上正久作のものであると伝えられている。

   (文:住職 藤原智城・第344号 抜粋)

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