「国下」の地名は、ここに能登国の役所(国衙)があったことに由来するという。 本社は、もと山王宮といい、この役所(国衙)内にあったという。元禄年間、国下村鎮座の大山咋命、羽土村鎮座の大己貴命を合せ、現在地に社殿を建てた。明治初年、日吉神社と改称した。
町の真ん中を捨越川(笠師川)が流れているが、もしかして、国下の人たちは、水害に苦労してきたかもしれない。祀られている大山咋命は、開拓の守護神であり、大己貴命も開拓の祖神として崇められてきた。二神とも、治水・土木の知識に優れ、開拓事業に専心した神である。 (第325号 抜粋)
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