昔、この地一帯は、林であったことから、「若林」となった説があります。
また、能登の守護畠山氏が、七尾の城を造る時、ここから、用材を切り出したという話があります。
大同3年(808年)頃、越蘇(江曽郷)の中に、「若林」が含まれるという記録があります。
既に、「若林」という地名があったといえます。