ふるさとの杜タイトル

菊理姫神社(若林町)
神社の写真

本社は、その昔、「五ヶ山のセンボ」にあったというが、仁治二年(一二四一年)八月、現在の地に遷った。その時、白山比盗_社から菊理姫命を勧請した。伊弉諾命、伊弉冊命、菊理姫命を祭神としている。

その後、長谷部信連の祈願所となり、境内に観音堂を造立し、金剛坊、融福院という社僧が設けられた。社名も、観音鎮守、白山大明神を経て、文政十一年に菊理姫命社となった。

菊理姫命は、用水不足の地区に祀られることが多い。扇状地的丘陵の若林は、水脈が伏流し、用水に困窮していた。大正の初め頃、七尾線沿線の松林を開き水田の開発を図ったが、用水不足で成果が上がらなかった。四郎兵衛池、弥五郎池、太刀池等のため池が多いのは、こうした地勢による。

           (第332号 抜粋)

次へ

戻る