校歌

〜 校歌の由来 〜

 校歌は、昭和35年2月26日芝田純二郎作詞、市川都志春作曲により制定された。
 歌詞は、当時の校長芝田純二郎氏が中心になり、全職員が知恵を出しあって合作したという。作曲は、教科書の出版社「教育芸術社」の編集人市川都志春氏に依頼したものである。芝田校長は、集会・運動会などの行進などさまざまな機会に応じて、自由に速度を変えて歌えることを前提に、テンポの指示のない作曲を要請したという。
 市川氏からは、楽譜と共に「さざなみがくだけるような感じで歌ってほしい。」というような趣意の手紙が届けられ、集会では当時の音楽担任稲岡 (当時村田) 義成氏は、成田為三作曲「浜辺のうた」の気分で指導したという。
 当時の手紙は現存せず、テンポに異論を生じたので、直接稲岡氏に確認して記録した。
    
                                 昭和55年6月26日 音楽科担任 宮川隆之



                
              涛南中学校校歌


                               作曲 芝田純二郎  作曲 市川都志春



一, 有磯の海に 風なぎて       二, はてなき潮路 見はるかす       三, 立山連峰 仰ぐ庭
    かもめ群れ飛ぶ 涛南の         窓に語らい 書よみて             大いなる夢 抱きつつ
    空晴れわたり ひかり満つ        いざや励まん わが友よ          
  三歳の月日 睦あい
    丘に立ちたる 学舎は           明日の歴史を つくるべき           きおいきたえし 力もて
    われらが永久の ふるさとぞ       われらの使命 重ければ          
 われらのゆくて 拓かなん




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