平成7年度、下記長谷川信春(等伯)作品を所蔵しました。

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石川県指定有形文化財
作品名●愛宕権現図 ・あたごごんげんず
作 者●長谷川信春(等伯)
材質技法●絹本著色
法 量●縦81.3cm×横36.3cm
印 章●「信春」朱文袋形印
制 作●室町末期〜桃山初期

 京都の山城愛宕山朝日の峯にまつられてきた愛宕権現は、一般には勝軍地蔵として人々の信仰を集めてきた。特に武家の信仰が盛んで、甲冑を身に着けて軍旗と剣を持ち、乗馬姿で描かれることが多い。本図もほぼ同じ様相で、左手には如意宝珠を戴いている。
 制昨年については、当時この辺りに愛宕神社があったことが分かっている他、「十二天図」(県文/羽咋市・正覚院蔵)との共通点が多いことから、26歳頃の制作との見方もある。しかし、火焔の描き方やその存在感のある顔の表現には明らかに上達の跡が確認される。仏画の場合は一般的なスタイルがあるものの、恐らくは上洛後間もない頃、京都の社寺関係からの依頼で描いたと見るのが自然ではないだろうか。
 肉眼では確認し辛いが、画面右下に「信春」袋形印がある。

平成14年度、下記長谷川信春(等伯)作品を所蔵しました。
石川県指定有形文化財

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作品名●陳希夷睡図・ちんきいすいず
作 者●長谷川信春(等伯)
材質技法●紙本墨画
法 量●縦48.1×横23.1cm
印 章●「長谷川」朱文長方形印、「信春」朱文鼎形印
制 作●桃山時代

 本図は、樹下で睡眠をとる仙人を描いた水墨画である。
 特筆すべきは、左下部に捺された2印である。「長谷川」朱文長方形印と「信春」朱文鼎形印の内、後者が捺された作品は現在2点しか確認されておらず、20歳代後半頃から30歳代頃に使用した袋形「信春」印と、50歳代から使用した「等伯印」との間の、一時期にのみ使用されたものとして注目されている。
 等伯は晩年、自ら雪舟五代を名乗り、『等伯画説』(等伯が語ったものを、親しくした本法寺住職・日通上人が筆録したもの)にも、等伯が雪舟、等春の流れを汲むということが記されている。しかし、実際にそれを強く裏付ける作品は、本図と同じ鼎(壷)形印を持つ「花鳥図屏風」だけと言われてきた。その様な中で、本図はまさにそれを示す作品であり、等伯研究者たちが捜し求めていた作品なのである。
 筆の流れ、墨の溜まりは雪舟を思わせ、この特殊な寸法については、等春も影響を受けた中国宋元絵画に基づくものと思われる。不透明であるとされている、等伯40歳代の動向を知る上でも注目されることは間違いない。
 全国的に周知のように、等伯作品はまず世に出ることはないと言われている。絵手本を元に描く仏画とは違い、この作品は小品ではあるが等伯の創作的絵画であり、筆致を見ても資料的にも大変貴重な作品と言えるであろう。

平成15年度、下記長谷川信春(等伯)作品を所蔵しました。

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石川県指定有形文化財
作品名●善女龍王図・ぜんにょりゅうおうず
作 者●長谷川信春(等伯)
材質技法●絹本著色
法 量●縦35.5cm×横16.3cm
印 章●「信春」朱文袋形印
制 作●室町末期

 「善如龍王」は、元々インドの無熱達池に住む八寸(24cm)の金色蛇で、九尺(270cm)の蛇の頂きに住むと言われる。密教系の仏で、天長元年淳和天皇からの勅命により空海が、神泉苑において請雨修法した折に応現したと伝えられる。「善女龍王」とも書き、本図は頭頂部に八寸ほどの金色の龍(蛇)を戴き、右手に三鈷杵の剣を持し、左手には如意宝珠を戴いた女形の童子像として描かれている。しかし善如(女)龍王を描いた代表的作品として知られる、高野山・金剛峯寺蔵の定智筆、国宝「善如龍王図」の龍王は、中国官服を着して雲上に立つ男神として描かれ、裾の後に蛇の尾が僅かにのぞいた姿で表されている。本図については、清滝権現との関係を今一度見直す必要があるかも知れない。
 画面の状態は比較的良好で、信春時代の特徴である優美な色彩を見ることができる。小品ながらも存在感があり、能登時代に多くの仏画を手掛けた等伯の技量が窺える。また、等伯は熱心な法華信者で、特に法華宗関連の仏画を多く描いているが、宗派にこだわらず幅広く仕事をこなしていたことが分かる。
 興味深いのは、同じく能登時代に描いた一連の仏画との共通点である。特に宝冠は、「弁財天十五童子画像」(穴水町指定文化財・個人蔵)とほぼ同じ形状である。これらの仏画と照らし合せると、恐らく能登時代の28歳から30歳頃の制作であろう。